KH0601’s blog

テーマは特に決めていませんが何かに対して思ったことをアウトプットしていきたいと思います。

世界から猫が消えたなら まとめ

世界から猫が消えたなら」の紹介の続きです。

前の記事を読んでいない人は先に前の記事を読んでからの方がいいかもしれません。

 

また、ここから下は詳しい内容を書いてしまうのでネタバレになってしまいます。映画を観ていないのに詳しい内容を知りたくない方は映画を観てから読んで下さい。

 

 

本題↓

世界から猫が消えたならのテーマというかメッセージは色々あると思いうが、大事なのは「何かを得るためには何かを失わなければならない」「この世界はかけがえのないもので溢れている」ということだと思う。

しかしこの2つは掛け合わせると難しい。何かを得るために失う何かはかけがえのないものであって、そのかけがえのないものを失いたくないからと言って得なかった何かもかけがえのないものであって、、

こんな風なジレンマがあると思う。

「僕」は自分の命というかけがえのないものを得るために葛藤の末いくつかのかけがえのないものを世界から消して、それがかけがえのないものだったと気付く。

この映画を観た人には失うまえにそれがかけがえのないものだと気付いてほしいし、自分もそのかけがえのないものであることを実感してほしい。

消えるもの4(世界から猫が消えたなら➄)

世界から猫が消えたなら」の紹介の続きです。

前の記事を読んでいない人は先に前の記事を読んでからの方がいいかもしれません。

 

また、ここから下は詳しい内容を書いてしまうのでネタバレになってしまいます。映画を観ていないのに詳しい内容を知りたくない方は映画を観てから読んで下さい。

 

 

 

本題↓

 

「悪魔」が次に選んだ世界から消すものは「猫」でした。「猫」は「僕」が小さい頃に拾った捨て猫「レタス」という猫を母がすごく可愛がっていたが死んでしまい、不器用な父と「僕」が母に内緒で「レタス」そっくりの「キャベツ」という猫を家に連れてきたという思い出があります。そして家族旅行の海のシーンで母は「僕」に「キャベツをよろしくね、あ、違った。キャベツ、この子をよろしくね」と言っていて、実際に僕は母が亡くなってからも「キャベツ」を大切にしてきました。

そして今も近くに居る家族の絆を強くしてくれた「キャベツ」を含め、「猫」が世界から消えてしまったらどうなるのかと考えている中で「悪魔」が自分自身であることに気づく。

このシーンから感じられるのは人間の愛情的な面が強いと思う。例えば不器用な父が「キャベツ」を見つけ家に連れてくるというのは母を愛しているからで、いつも時計をいじってばかりで寡黙な父も母のことをすごく大切にしているということが伝わってくる。

 

消えるもの3(世界から猫が消えたなら➃)

世界から猫が消えたなら」の紹介の続きです。

前の記事を読んでいない人は先に前の記事を読んでからの方がいいかもしれません。

 

また、ここから下は詳しい内容を書いてしまうのでネタバレになってしまいます。映画を観ていないのに詳しい内容を知りたくない方は映画を観てから読んで下さい。

 

 

本題↓

 

「悪魔」が次に選んだ世界から消すものは「時計」でした。「僕」の父親は時計店をやっていて映画でももちろん感動するのだが、小説では映画に収まりきらない部分も書いてあってより感動するので是非小説も読んでない人は読んで欲しい。

また「トムさん」が言っていたように時間を見えるようにして、それに縛られてしまっているのも人間だけであるという言葉にはすごく考えさせられる。確かに定められた時間があって、時間を気にしながら進めた方が上手くいく物事の方が多いのは間違い。しかし逆に時間に縛られて行動している人が多いのも確かだ。時間に追われ焦ってる人も多い。それを思うと1日をそんなに細かい時間で区切らなくてもいいような気もしてしまう。

 

人間だけが持つ「時間」という概念を可視化した「時計」を消すということは父親のエピソードだけでなく、抽象度の高いテーマを投げかけてくれているのではないだろうか。

消えるもの2(世界から猫が消えたなら➂)

世界から猫が消えたなら」の紹介の続きです。

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また、ここから下は詳しい内容を書いてしまうのでネタバレになってしまいます。映画を観ていないのに詳しい内容を知りたくない方は映画を観てから読んで下さい。

 

 

本題↓

 

 

「悪魔」が選んだ2つ目のこの世から消すものは「映画」でした。「僕」の好きなものでもあり、親友「ツタヤ(本名はたつや)」との間にある大切なものだ。毎回「ツタヤ」は「僕」に映画を一本紹介してくれて「映画は無限にある、だから俺たちの関係(映画を貸すやり取り)も無限に続く」と「ツタヤ」が言っていたが、「僕」が死ぬことを聞き最後に見るべき一本を「ツタヤ」が探すシーンはすごく切ない。

 

このシーンから思うのは「映画」が無くても確かに死ぬわけではない。それでも「映画」がなかったら親友との出会いもなくなってしまうし、毎回のやり取りもなくなってしまう。何かが無くなるというのはそれに関する色々なものも無くなるということを学べる。

 

また劇中で「僕」と「ツタヤ」は「映画」のセリフを引用して会話するシーンが多々出てくる。

私が映画を好きな1つの理由として短い時間で多くのことを考えさせられ、多くのことを学べるというところがある。映画は誰か(より限定するなら監督や原作の著者)が今までの人生から得た「何か」を2時間や3時間で描いていて、誰かが何時間もかけて得た「何か」を短時間で私たちに届けてくれるため、すごく効率良く学ぶことができ自分の人生を豊かにできるという魅力がある。

劇中で2人が引用する名言も、その「何か」を一言でまとめたものである。

 

普段映画を観るときにこのような学ぶという観点を持って見てみるとより映画がおもしろくなると思うので是非試してみてください。

消えるもの1(世界から猫が消えたなら➁)

世界から猫が消えたなら」の紹介の続きです。

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また、ここから下は詳しい内容を書いてしまうのでネタバレになってしまいます。映画を観ていないのに詳しい内容を知りたくない方は映画を観てから読んで下さい。

本題↓

 

 

「悪魔」が最初に提案した世界から消すものは「電話」でした。大学時代に宮崎あおい演じる「彼女」からの間違い電話によって「僕」と「彼女」と出会った。そしてデートをしてもシャイな「僕」はあまり話さず、デートから帰って「彼女」とは「電話」でたくさん話をした。

そしてもし「電話」が消えてしまったら、「彼女」と出会うこともなかったし、思い出も全て無くなってしまうのだ、、

 

「電話」を消すというシーンから感じたこと。

現代のコミュニケーションの希薄化だ。劇中では「デート後に電話するためにデートしてたよね」と「彼女」言ったように、電話することがすごく大事なコミュニケーションの1つだった。

しかし現代では便利になってLINEなどの無料のSNSでチャットができたりすることによって同時に何人かと連絡が取れてしまうことによって、そのコミュニケーションの重要度が下がってしまっているのではないか。たしかにそういうチャットを重要だと考えている人も少なくないだろう。一文一文考えて心を込めて送信してる人もいるだろう。しかし、既読無視や適当なスタンプだけで返信する人もいる。そういう人はあまりそういうコミュニケーションは重要でないと考えているからそういう返信になってしまうのではないだろうか。

 

簡単にコミュニケーションが取れてしまうからこそ、その重要さが感じられずコミュニケーションが希薄化してしまっているのではないだろうか。

 

映画を見て、劇中の「僕」と「彼女」が「電話」する時間を大切にしていたように、現代のコミュニケーションの中心でもあるSNSでも、それが大事なコミュニケーションの1つだと考えてくれる人が多くなれば、既読無視や適当な返信で傷つく人も減るのではないだろうか。

 

世界から猫が消えたなら 紹介(世界から猫が消えたなら➀)

あらすじは、佐藤健が演じる主人公「僕」がある日、脳腫瘍であると宣告されてしまう。

そして家に帰ると見た目が自分とそっくりの「悪魔」が現れる。そして「悪魔」は世界から1つ何かを消すと寿命が1日伸びると言う。そして「僕」は「悪魔」の提案するものを世界から消し生きるのか、死を受け入れるのか葛藤しながら1日1日を過ごしていくというものだ。

 

簡単に印象を言うなら「今この世界にあるものがもしも消えてしまったらどうなるのかと考えさせられる映画」

 

めちゃくちゃ泣けるしめちゃくちゃ考えさせられる名作です。まだ観てない人は是非観てください。

ここで30日間の無料期間を使って見ることができるので使ってみるのもいいかもしれません↓

 

 

シーン毎の感想も次のブログに書くので是非映画を観てから読んで下さい。